

古くは、人々は玉を君子に比して歓んだ。『詩経』に「言れ君子を念うに、穏やかなることれ玉の如し」とあります。南宋以後、上層階級は印石愛蔵の風潮がだんだん盛んになり、文人達は石を鑑賞し、石を品評することを脱俗の風雅と見なしました。芙蓉石は、その清潔で、凝固してきらめき、俗世とはかけ離れ、君子の風格があるので、文人達はより一層珍重愛玩しました。
20世紀寿山石彫刻の発展
近現代、寿山石の彫刻・印章を経営する商店は、福州総督後に集中しています。これは明・清以降、行政機関があったことと関係があり、1940年代後期には約20軒にまで発展し、店主は経営のほかに、多くは西門派の技法を継承してきました。1935年10月に台湾で博覧会が開催され、福州から寿山石の珍品を集め人を派遣して出品しました。
抗日戦争期間中は、交通は遮断され海運も不通となり、寿山石彫刻業は落ち込みました。
そして1980年代に入ると、寿山石及びその彫刻芸術は飛躍的な発展を遂げました。1980年に、一個121.5gの田黄石が広州の展覧会上で外国から来た貴賓に高値で取引された後は、国内外において寿山石収蔵ブームになりました。林 国平 作
寸法 : 149.8X109.0X45.8mm/598.0g (木製台付)